こまきが死んだ。
ダンナも私もたくさんのおもちゃも置いてひとりで逝ってしまった。
ご飯を食べなくなっても、水も飲まなくなっても
香箱を崩すことなく、最期まで猫の矜持を見せ付けて、
「さあ、あんたも死ぬ時にはね、こうやって死んでいくんだよ」
と教えてくれた。
全く、見事に、死んでいった。
この小さな家に越してきてすぐ、こまきを迎えて17年と数ヶ月、こまきは善く生きた。
こまきとの17年、本当に楽しかった、うれしかった。
「ありがとう」なんて言葉では言い尽くせない感謝と、
「さみしい」なんて言葉では言い尽くせない喪失感の渦の中、
溺れそうだ。
それでも、すぐに崩れそうな細い橋の上をかろうじて進んでいるのは、
こまきに、父にも、兄猫にも、先に亡くなったたくさんの人たち、動物たちに
あちらで会えた時に、
「あなたたちを亡くした後も、私は善く生きたよ」
と言えるように、
みっともなくてもいい、笑われてもいい、
這ってでも前に進まなければならない。
動物病院の前に捨てられていた3匹の猫のうち、
かごの中で一番奥に引きこもって
「あたしは誰のところにも行かないわよ」
と手負いの猛獣のように抵抗を続けた猫は、
兄猫と人間を従えた立派な暴君に成長するとともに、
手前味噌ながら、時たま「ほぉ」っとするほど美しい猫になってくれた。
写真家の腕に問題があり、その愛らしさ、気高さの
かけらすらも残すことはできなかったけれど。
ここに訪れていただいたすべての方に感謝します。
こまきを知っていただいてありがとう。
ありがとう。